掛川城

掛川城

掛川城の歴史

掛川城の歴史
今川氏

今川氏

遠江進出の拠点として築城

室町時代(14~16世紀頃)、遠江進出を狙う駿河の守護・今川氏に命じられ、家臣の朝比奈泰凞が明応6年(1497年)から文亀元年(1501年)にかけて龍胴山に築城したのが掛川城のはじまりです。この頃の掛川城は現在よりも東に500mほどの位置にあり、現在は「掛川古城」と呼ばれています。その後の今川氏の勢力拡大に伴い、1500年代初頭に現在の位置である龍頭山に新たな掛川城が築かれました。

徳川氏

徳川氏

武田氏侵攻に対する防御の要に

永禄3年(1560年)、桶狭間の戦いで今川義元が織田信長に討たれると、義元の息子・氏真は甲斐の武田氏に駿河を追われ、永禄11年(1568年)に掛川城へ立てこもりました。
翌年には徳川家康が掛川城を攻め、半年にわたる攻防の末に和睦によって開城させました。
家康の領有となった掛川城には重臣・石川家成が入城し、武田氏侵攻に対する防衛の拠点となりました。

山内氏

山内氏

天守閣や城下町が整備され華やかな様相に

天正18年(1590年)、豊臣秀吉が全国平定を成し遂げると、徳川家康を関東へ移し、家康の旧領地に自身の配下にある大名を配置しました。掛川城へ配置された山内一豊は大規模な城郭修築を行い、掛川城に初の天守を築き、大手門を現在の場所へ建築しました。また、城下町の整備や大井川の治水などにも尽力しました。

現代

現代

東海の名城、ふたたび

現在の掛川城は、平成6年(1994年)4月に日本初の「本格木造天守閣」として「東海の名城」と呼ばれた美しさをそのままに復元されたものです。