掛川城

掛川城

掛川城天守閣

「東海の名城」と謳われる美しい天守閣

天守閣

天正18年、家康が領地を関東へ移したあとに
建てられた天守

掛川城の天守閣は、3層構造の外観ながら、内装は4階建てになっています。6間×5間(約12m×10m)の天守閣本体は決して大きいものではありませんが、東西に張り出し部を設け、入口に付櫓(つけやぐら)を設置するなど、外観を大きく、複雑に見せています。
1階、2階に比べて4階の望楼部が極端に小さいのは、殿舎の上に物見のための望楼を載せた出現期の天守の名残といえます。白漆喰塗り籠めの真っ白な外容は京都聚楽第の建物に、また黒塗りの廻縁・高欄は大坂城天守にならったと考えられています。

木造天守閣

日本初となる
本格木造天守閣の復元

嘉永7年に起こった安政の大地震により天守など大半の建物が損壊した掛川城は、御殿・太鼓櫓・蕗の門など一部を除き再建されることなく明治維新を迎え、明治2年に廃城となりました。
その後も御殿は様々な用途に使用されながら残りましたが、天守台や本丸跡などの一帯は都市公園として整備され、城址としての面影は長らく陰に潜めていました。
掛川市民の掛川城天守再建への熱意と努力は平成6年に実を結び、天守は140年ぶりに木造で再建されました。再びその美しい姿を現した掛川城天守は、歴史の息吹を今に伝えてくれています。